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自分語り、というか愚痴

今日はセンター試験らしくあちこちでその話題を目にした。
で、いろいろと当時のことを思い出したり、それからのいろいろを思い出したりしたので吐き出す。
愚痴めいたことが多くなるし、ちゃんとまとまってない文章なのでスルー推奨。

昔から今まで自分が頭が良いと思ったことはないけれど、ある程度は勉強ができていたので、それなりに行きたい大学ややりたい勉強や進みたい道があった。しかしいざ進路を決定する段になってそれらのほとんどを諦めて実家に近い地元の大学に進学することを決めた。
ちなみに地元の大学は自分が行きたかった大学からは数段レベルが下がる。

何故そうしたのかと言うと、一番大きな理由は当時の母親の病気。

ある日高校から帰宅すると母親の勤め先から電話、「君の母親が仕事中に倒れたからすぐに来て欲しい。」とのこと。制服を着たまま急いで勤め先の病院に行ってみると意識が朦朧となってうめき声をあげながらベッドに横たわってる母親の姿。医師からは「痛みが酷いため緊急措置としてモルヒネを使用した。症状から考えて膵臓癌の疑いもある。」との説明。その後いろいろあったけど結局母親は仕事を続けながら大きな病院に治療と検査で通うことになった。
当時も今も膵臓癌が発症すれば余命数か月の宣告を受けるのと同じこと。
それ以来母親は若干ノイローゼっぽくなり「自分が死んだら娘はどうなるんだろう」などと言いながら泣いている姿を何度も見た。当時妹は小学校低学年だったので確かにその不安は理解できた。
父親とふたりで何度も母親を慰めたことを覚えている。

いざ自分自身の進路を決める時、最初は自分の行きたい大学に行こうと思い親を説得した。しかし理解は得られず、何度も喧嘩をしたけど、最終的に父親の「もし母親が癌だと決定したら治療費がかなりかかるし、妹もまだ小さいのだから、お前を東京の大学にやる余裕はない。いざとなったら就職して欲しい。」という言葉に負けた。いっそのこと大学進学そのものを諦めて就職しようかと思ったけど父親の「まだ癌だと決定したわけではないから、それまでは大学生活を続けてくれる方が嬉しい。」という言葉に甘えて両親が一番望んでいた地元の大学に進学することにした。

大学に入ってからはいろいろあって、結果的にはサークルの先輩方のおかげで楽しい思い出がたくさん出来たものの、ちゃんと自分の学力に見合う学校に行かないと非常に苦しいということを学ぶ羽目になった。

その後の人生でもいろいろあったが、母親は一時期は毎年のように入退院や手術を繰り返しながら、いまでも元気に生きている。そして父親も何度か入院や手術をしつつ、生きている。
最悪の結果にならなかったことは幸せだったと思う。

しかし、である。
この間年末年始に帰省した際、母親は当時のいろいろを覚えていないと言っていた。
地元の大学に行って欲しいと思っていたことは覚えていたが、自分の病気で泣いていたことや、そういういろいろの結果僕が行きたかった大学に進学するのを諦めたことなどを忘れていた。
挙げ句の果てに「そんなに行きたい大学があったのなら家出してでも行けば良かった。それをしなかったということはその程度の気持ちでしかなかったということだ。」とまで言っていた。

正直唖然とした。
僕があれほど悩んで苦渋の決断をしたこととその理由について覚えてないと言われると、怒ることもできず、かといって笑い話にできるほど軽い話でもなく、ただ唖然とした。

母親が毎晩のように泣いているのを振り切ってまで、家族よりも自分のやりたいことを優先させれば良かったのか。誰も死ななかったから良かったけど、仮に最悪の結果になっていた場合、妹はどうなっていたのか。

僕は家族を犠牲にしてまで自分のやりたいことを優先させようとは思わない。
かといって自分が犠牲になったとも思わない。
ここに書かなかったいろいろなことを含めて、挫折と決断と行動を繰り返して自分の人生を積み重ねただけだ。

ただこの正月に親と話をして以来、自分の人生は何だったんだろうかという気持ちが続いている。
感謝されたいわけでもないし慰められたいわけでもないんだけど。
by stepbros | 2015-01-17 16:14 | 書き散らかし | Comments(0)

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