間が空いたけど
前回の続き。
こないだ「第三舞台とは演劇、あるいは大きなくくりでのステージ・パフォーマンスを僕らが作る上で先生としての存在だったということ。」云々と書いたんですが、それはどういうことかをちょっと詳しく書こうかな、と。
その前にまず前提条件として、僕は90年代から00年代にかけてはなはだ末端ではあるけどステージパフォーマンスをつくる場所にいました。つまり単純に観客として第三舞台を観ていたわけではなく、作り手の一人として観ていたということ。逆に言えば純粋なお客さんとして第三舞台に触れることができなかったなとも思うわけです。
それを踏まえた上で読んでもらえればと思います。
で、彼等からなにを教わったかをあれこれ思いつくまま以下に書き出してみます。
演劇とは祝祭空間であること。
現実世界を象徴的に再構築し描くことが演劇ではないのか。
物語は他者同士が出会う場所に生まれる。そしてその物語を重層的な構造にすることが望ましい。
演劇史の中での立ち位置を常に意識しつつ制作すること。
演劇というメディアにおけるリアリティとは何かを意識すること。
省略と飛躍によって作り出されるポップさとスタイリッシュさの重要性。
開演後10分以内に劇構造の前提条件を提示すること。
常に一定以上の情報量を舞台から送り続けること。
作家、演出家、役者、スタッフ、そして観客とリレーを繋げていくように展開する思考実験の場をつくること。
他にもたくさんあるんだけど、ひとまず基本的なものはこんなところかな。
そういう上に挙げたようなことを実践・表現するために真摯に演劇というメディアと向き合う姿が第三舞台、ひいては鴻上尚史の魅力のひとつだったんじゃないかなと思うし、客席に座る僕らにも「これが演劇だろ?お前らはどう思う?」って感じでかなり意識的に突きつけられていたんじゃないかなと思うんですよ。
それは「深呼吸する惑星」でも同く、いや同じというかこれまでの作品よりももっと「演劇」の定義を明確にしようとしているように見えたんです。
きっとそういう面からも第三舞台の集大成にしようとしたのかな、と思ったりするわけです。
もちろん彼等が作ってきた舞台が演劇の全てではないと思うし僕自身他の作家や演出家から学んだことも多いし、彼等もそれが全てだとは思ってないだろうけど、「深呼吸する惑星」を観るだけである程度は「演劇」を計るための物差しを手に入れられるなと思うわけです。
それは本当にすごいことだと思います。
えーと、長くなったのでまた続きます。
本日の1曲:
『More Than This』
(Roxy Music『Avalon』←CD)
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Roxy Music Web Site→

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